着いた先は標茶町の多和平。(地図)
牧場の小高い丘にある場所で360度視界が開ける。
2007.05.01 四日目/晴れのち曇り
目覚ましは5:00にセットしておいたのだが、何故か4:30頃に目が覚める。二度寝するのももったいないので前日コンビニで仕入れた朝飯をつまんで、5:00過ぎに出発。R391を北へ向かう。
釧路−標茶−中標津−標津−別海−根室−厚岸−中標津 652.9km |
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着いた先は標茶町の多和平。(地図)
牧場の小高い丘にある場所で360度視界が開ける。 |
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展望台から見るカムイヌプリ(摩周湖)。
ちなみに360度のパノラマ写真はこちら。 |
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その後は小清水峠を越えて裏摩周展望台へ。元々裏摩周は人が少ないが、朝早いこともあり今回は自分以外誰もおらず。昨年霧で何も見えなかったのを無事?リベンジ。
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展望台への道は雪に埋もれる。
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説明書きの表示板も雪の中。
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湖の湖面は鏡面のよう。
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この後は養老牛の集落を抜けて中標津の開陽台へ。
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というわけでレストハウス前からの写真。
根釧原野に地平線が広がる。 |
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もう一枚。眼下に広がるのは格子状防風林。
開拓に当たって防風林をマス目上に植林したその光景は衛星写真からでも確認できる。 |
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別海フライトパーク。会員制の飛行クラブ?らしい。
写真は撮らなかったが付近の農家では格納庫の基礎を再利用して農機具の収納庫を建てていたりする。 なお、1977年に撮影された現地の航空写真では誘導路・滑走路・格納庫の遺構を確認することができる。 |
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別海フライトパークから少し離れた箇所にある有蓋掩体壕。(地図)
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その内部。60年以上も経っている割には意外と劣化してないようにも見える。
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が、坑口の部分は若干の崩落が。
戦時中の建設というと鉄筋を使用せず代用材の竹筋コンクリートなどで建設された話を良く聞くが、そうではないのは軍事施設だからか。 |
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防風林を背景に。背後がr13。
ちなみに道道からでもこの掩体壕は見ることが可能。 |
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少々移動して、近くにある別の有蓋掩体壕。
農地のど真ん中にあるのでこちらは近づくのが困難。 |
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というわけでカメラをKissDN+EF70-300ISに変えて最大望遠で寄ってみる。
写真を数枚撮ってこの場は撤退。 |
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この後はr13を一路東へ向かい、R272-R244と走って標津へ移動。
目的地は旧海軍の標津第二航空基地。(地図) | |
で、現地…なのだが、現地前の道路にはこんな標識が。
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そして路面にはこんな風に溝が。
この道路、メロディーロードと言って路面に一定間隔で溝が掘られており、その上を時速60kmで走行すると「知床旅情」のメロディーが聞こえるというもの。(標津町のWebページ) |
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で、それはさておき。
現地横の説明板。内容の通り、この辺りは有蓋掩体壕ではなく土を盛っただけの無蓋掩体壕が残っている。 |
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その隣。文化財に指定、という割には背後に見てとれる通り植林が行われるなど、あまり保存には気を遣っていない様子が気にかかる。
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で、そこから左手を見る。林の中に不自然に盛土がしてあるのが無蓋掩体壕。道路側に向かって開いたU字形をしているのがわかるだろうか?
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もう一枚…と思ったのだがこちらは若干分かり難いか。同じく道路に向かって開いたU字形の掩体壕を正面やや左から見ている形になる。
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で、その現地の写真。平行誘導路の端点に立って反対側を向いた視点になる。
道道から少々分け入った所に不自然な形で林が開けているが、それと言われなければわからないだろう。 |
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が、動かぬ証拠が足下に。
石が多く質の悪いコンクリがしかれているのがここが戦時中滑走路だった痕跡(隙間から苔やら雑草が生えているが)。 |
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反対側に車で移動して、さっきいた方向を見てみた図。
明らかに作為的に伐採されているのがわかる。 中々面白い。 |
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で、ちょうど昼飯時になってきたので別海町の市街地へ移動。
いつもは移動時間を優先してセイコマでそそくさとすませるのだが、この日は時間に余裕があったので、以前からチェックしていたドライブイン「ロマン」へと向かう。 | |
で、お目当てはこれ。ポークケチャップ。
ポークソテーにケチャップベースのソースをかけたもの――というと乱暴に過ぎるか? 700gはちょいと完食出来るか微妙だったので、日和って400gのミニを注文。 |
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その後はR243-R44をうにょうにょと移動して根室市街を抜け、一路納沙布岬へ――と書きたいところなのだが、その手前で脇道にそれて牧之内地区にある飛行場跡地へ。こちらも戦時中に海軍が北方防衛のために開設した飛行場で、実際に使用されたかどうかは不明とのこと。(地図)
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で、先ほどと同じく付近に残る掩体壕を道道から遠望。ちなみに手前に見えてる盛土らしきものは別の有蓋掩体壕の側面。
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そして滑走路跡。付近の方が漁網を干すのに使っているらしい。
ちなみにこちらも先ほどと同じく国交省の航空写真から確認が出来る。滑走路跡が縞状になっているのは終戦時に米軍が使用できないように滑走路のコンクリを爆破したせいだとか。 |
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ただし、上記の米軍が爆破の下りについては昭和三十年の国会議事録に以下の通り米軍が緊急用に同飛行場の使用を日本に求めた件に関しての記述があり、実際はどうだったのか疑問が残る。
○森(三)委員 時間の都合もありますから、簡単に伺っておきます。
大臣は御存じかと思いますが、実は重要な問題でございまして、北海道の根室支庁に所存する旧海軍の飛行場、これは従来使用していなかったのでありますが、最近米軍が週三回程度の使用を要求し、これに対しまして地元では非常に驚いたわけであります。 (中略) ○倉石国務大臣 お尋ねの根室飛行場の提供につきましては、これは米軍が常時使用するということではございませんで、付近の通信施設などに病人が出たような非常の場合に使わしてくれないかという要望がありまして、臨時的に使用を許しておる。こういうことでございますから… (中略) ○森(三)委員 (中略)そこでこの重大なる外交交渉の段階にある今日、根室の牧ノ内飛行場の使用に対しては…(以下略) 第023回国会 内閣委員会 第1号議事録より |
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で、その後は納沙布岬に移動。納沙布岬自体は4回目の訪問なので特に何も無く。
写真は四島返還のモニュメントだとか。 |
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この後は海沿いのルートを厚岸まで戻った後内陸に分け入って中標津へ。
曇り空ということもあり移動に半ば徹したので写真は特になし。
この日はこれでおしまい。 |