2007.05.02 五日目/雨、曇り、晴れ
前日の天気予報で雨との知らせだったので、6時に起床。窓を開けるとやっぱり雨だった。晴れなら朝の美幌峠を見に行く予定だったのだが(前々日にも訪問しているが午前と午後で見える景色は変わるものである)、雨が降ると現地は雪のおそれもあるため、仕方なしに地図と睨めっこしてルートを再検討。中標津−小清水−網走−美幌−佐呂間−湧別−遠軽−滝ノ上−西興部−興部−紋別 542km 付近の峠で比較的標高が低く、未走破の藻琴峠を越えることにして出発。 |
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藻琴峠までは雨だったのですが、反対側へ降りたら小清水側は青空が。チェーン着脱場から空を見上げる。ちなみに路面はドライだったのでこの辺りではそもそも雨も降っていなかったらしい。
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で、その代わりにこちらでは風が強く――付近は畑ばっかりなので、砂塵がものすごいことに。
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で、この後は時計と睨めっこを繰り返しながら小清水市街を抜けて浜小清水駅へ移動。
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浜小清水駅とキハ54。
ってお目当ては別にこれではなくて―― |
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こちら。DMV。といっても試乗に応募しているわけではないので、単に外から見るだけなのですが。
しかし横から見ると変な形してますねこれ。 ちなみにこの日は浜小清水〜藻琴間の体験試乗でした。背後にちょろっと顔を見せてるエルグランドはJR北海道スタッフ用の移動車だった模様。 |
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もう一枚。前の凸部、ナンバーの上あたりが開閉可能なように見えるのは非常用の連結器でも入ってるんでしょうか?
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で、駅外れにあるモード切替装置?箇所?。
見た通り単純な仕組みですが、雪が積もった時が面倒そう。 |
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で、発車は見ずに藻琴駅に先回り。軌道→道路の変換を見ることに。
まずは定位置でストップ。 |
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車輪を格納すると…
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ぐいっとハンドル切って走り出します。この間約40秒。
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駅舎とDMV。ちなみに運転士が前の写真との間にシートベルトをしているのに要注目。
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駅前の交差点を今来た方向へ…
DMV見学はこれにておしまい。 |
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で、この後は色々な箇所を行ったり来たり。
以下駆け足にてどうぞ。 |
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たまたまズーム流しになってしまった石北本線のキハ40。呼人にて。
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女満別メルヘンの丘。
天候が良ければいい風景なのだろうが… |
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女満別飛行場近くの掩体壕。旧海軍第二美幌航空基地のもの。ちなみに背後に見えるフェンスの向こうはタイヤメーカーのテストコースで、ジェット化以前に使用されていた女満別空港の旧滑走路(=基地滑走路を転用したもの)とのこと。
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場所は変わって佐呂間町、栃木地区の道路標識。
「栃木」の由来は戦前渡良瀬川の鉱毒に絡んで栃木県旧谷中村の一部住民が現地に入植(半強制移住)したことによるとのこと。現地は沢筋も一番奥の三方を山に囲まれた谷で、当時入植した当初は冬の寒さ等多くの苦労があったという。 戦後、住民の一部が栃木県に対し帰県を願い出て栃木県内へと戻っている。 ちなみに栃木地区の入り口では、先日竜巻で工事事務所が被害を受け死者が出た新佐呂間トンネルの工事が行われている。 |
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そして場所は変わって紋別近くの鴻之舞金山跡。
住友系の金山で、戦前から戦後にかけて辺りは賑わいを見せたが1973年に鉱脈の枯渇により閉山。 現地には記念碑の他建物の基礎や鉱毒を防ぐための沈殿池が今でも残る。 |
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軽便鉄道の記念碑。戦時中に完成したものの、戦後すぐに廃止されたらしい。ちなみに付近の駅逓跡の資料館には関連資料があるらしい。
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1989年建立の慰霊碑。日本の鉱山跡はどこもこうした慰霊碑が多い。
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道道をまたぐ送水管。軽便鉄道の橋梁跡とのこと。
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で、これはおまけ。
鴻之舞から紋別市街に行く途中で見かけた廃墟。 倉庫の壁に会社名と思わしき文字が見えるが、経営難で倒産、そのまま放置――の路線だろうか? ちなみに道北は気候が厳しいせいか廃集落やこうした廃墟は北海道の他の地域に比べてよく散見される。 |
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そして北海道の野に今日も日は暮れゆく。
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この後は日が暮れた後を紋別へ移動。 この日はこれでおしまい。 |